思い出したお赤飯
1日の朝はお赤飯。2月の一日もお赤飯だった. おついたちは何時も、お赤飯とのこと。
忘れていた子供の頃の我が家の行事を思いだした。 炊飯器も無い、圧力釜も無いあの頃。小豆は多分別に炊いていたと思う。 火は、ガスだったけれど、分厚い木の蓋、重い鉄のお釜、昔は何でも大変だったなー。朝のお味噌汁も、毎晩鰹節を削って・・・なんて、連想ゲームのように、母のお台所姿を、思い出した。
あの頃は、お赤飯は、好きでなかった。小豆が、だんだん手に入らなくなったからか、何時の間にか月初めのお赤飯は無くなった。
施設に入って、赤のご飯にお目にかかりました。 嗜好が変わったのかしら? 美味しくいただいています。
ここに書いているお赤飯は、もち米ではなく、普段食べているお米です。
夜は『カラオケの会』聞くだけでも良い、と、何度も言はれて、出かけました。
演歌は、知らない曲が、沢山ありました。 歌う事に、意義がある。と、言う事のようです。