古くなるということ

洗濯の後、久し振りにお風呂場の大掃除、と言っても、昔のようには行かない、ぼちぼちと、部分的。
お風呂の沸かし口(専門用語は、判らない)ブラシを、突っ込んで洗う。洗い場のタイルも、デッキブラシでごしごし、古い我が家は、洗濯機も同居、この下を洗うのも一苦労、一応見かけは綺麗になりました。
 
古くなればなる程、掃除は手がいる。古くなって価値が出るのは、骨董品ぐらいかな、それでも矢張り、物による。      外ずら丈は、リ・フォームしても、中身は、必要に迫られて…と言う事になる。
 
さて、中身の中の、住んでいる人間も、家と共に古びて来た。
 
これを、リ・フォームするには、と、目下思案中。      しわ、しみ、は、伸ばしてもこすっても取れない。
中身中の中身!!?も、だんだん衰えて来る。    お脳の皺はどうなのだろうか?これは、多いい方がいいと思うけれど…     最近は、体についてのテレビ知識が、お脳に入ってくるけれど、引き出しに入るのは、どの程度かな…
 
春になって、苔の生えた古木にも、耀いた新しい芽が出始めている。これは、地下からの、栄養か?木の精か?
 
庭の木を眺めていると、励ましにはなるけれど…
 
何日かかったかなあ、ズボンがやっと出来上がりました。たまの2〜3時間の作業でも、塵も積もれば山。少しずつでも、何時かは出来上がる。
この、ズボンも、母の、ウールの着物の、リ・フォームです。