牛津に行く

美代さんが、亡くなられて、5ヶ月近くなる。お参にいくいくと言いながら、とうとう5月になってしまった。幸子さんに牛津バス停迄来ていただく約束をして、11時11分の佑徳バスに乗った。この年になっても、不案内な所に一人で行くのは何となく不安。何年も前に、何度か尋ねた事があるけれど、その時は、田んぼだらけの田舎道だった。今日、幸子さんに案内された道の、両側はには、立派な家が立ち並び、殆どの家にガレージのある、はじめて来た町の中を歩いている感じだった。数年の間にこうも変わるものかと、吃驚・・・でも幸子さんの家の近くには、少しばかり麦畑が残って、以前の面影があった。懐かしく家に入る、家の中は、綺麗好きの幸子さんらしく、整頓されて以前のままの食堂。持っていった、のり巻きに、お手製のトマトサラダなど等、もぐもぐしながら久しぶりの、お喋りが、延々と続いた。電話でのお喋りは、度々だけれど、お会いしてのお話は本当に久しぶりで楽しかった。美代さんのお骨はまだ其のままだった。お寺に納める気がしないとか・・・5時過ぎ又、幸子さんにバス停まで、送って頂いて帰宅。こんな言い方は、佐賀の人には悪いけれど、標準語で、気にせずに話せるのは、気が楽だ、未だによくわからない佐賀弁もあるし、私とは話しにくい、と、云う人もいる。今日は楽しく話すことの出来た1日。
ティータイムに頂いた紅茶の、お茶碗は、姪御さんのご主人が、ドイツにいらしたとき、お土産に買って来て下さったという、マイセン製、日本では、金2万5千円也との事、わー勿体無い(なにが?)解らないけど・・・!!